みんなでクソ評論文作ってテストで嫌われたい

2021年7月8日木曜日

ネタ

 

 
時間ない時に初見で出てくるんだよ、こういうの。
 

クソ評論文を作ろう

みなさんお久しぶりです。今回とて突然ですが、みなさんは「現代文」、好きですか?
ちなみに僕は理系なのですが、一番の得点源にしています。ちなみに苦手科目は数学と物理です。対戦よろしくお願いします
 
さてそんな悲哀を蹴飛ばしつつ、今回のメインはそんな現国でたまに登場する「アレ」のお話です。
 
…そう。「クソ評論文」です。 
 
テストの大問4あたりに初見で出てきては、作者の性格を疑ざるをえない気持ち悪い論理構成、やたら多用されるカタカナ語、そして無駄な分量。テストや模試で出会うたびにキレそうになる、あいつです。なんだか僕も書いててムカついてきました。
 
しかし、僕はふとある言葉を思い出したわけです。それは、誰だったか国語の先生が放ったあの言葉。
 
文章題は作者になったつもりで解きなさい」 

そうです。国語の文章題において大事なのは「作者の立場に立って考える」こと。いくらクソな評論文であっても、そこには曲がりなりにも作者の気持ちや考えが詰まっているわけです。

そこで、です。

「クソ評論文の作者」になってしまえば自ずとクソ評論文が理解できるようになるのではないか、そう考えたわけです。
幸いにも僕には狂ったフォロワーが大勢いるので、彼らからネタはいくらでも収集できます。しかも、狂った思考が反映されるのでより「クソ」な評論文を書くことができるはずです。
 
 
ツイートすると、程なくして純度の高いクソが大量に返信されてきました。みなさんご協力ありがとうございました。
 
と、言うことでフォロワーの皆さんから集まった高純度クソをまずはご紹介しましょう。

高純度なクソ集


ちょいちょいネットのコピペとか挟んでくる

 
地獄かな?
評論文を読んでて「ヤバイ。宇宙ヤバイ。」とか目に入った日にはまず天を仰ぎます。しかも作者のドヤ顔が浮かんできて本気で殴りたくなるのでもうダメですね。
まぁ、果たしてこの宇宙コピペを知ってる人がどれぐらいいるのかは…ちょっと怖くて知りたくないですけどね…。
 

「読者の皆様もご存知のように、○○○(クソ専門用語のドヤ解説)な訳だが~」

 
うっぜぇ〜〜〜!!! 
でもあるんですよね、こういうの。特に模試とかで多いイメージです。急に普通に生きてたら一生聞かない台詞「トマト」ぐらいのノリで使い始めるのなんなんでしょうね。知識をひけらかすのは百歩譲っていいとしても、それを「えw 知ってるでしょw」ぐらいのノリで使うのはなんらかの刑事罰に問うべき愚行です。おそらく侮辱罪でしょうね。
 

社会学者の引用が多い 。注釈が多すぎて次のページの注釈をいちいち見ないといけない的な

 
万死に値する。 
「フランスの社会学者○○は〜」などと言い、自分の理論を虎の威を借る狐の如く補強する姑息なやり方。こんなことを許していいんでしょうか。ただでさえ現代国語のテストは時間がないと言うのに、いちいち注釈を見ないといけないような文章、あれマジで絶滅すべきです。
 

ブをヴに変える


待ってました。  
高齢の作者にありがち、謎カタカナ変換。いい加減観念して「ブ」と表記すべきです。奴らきっと日常生活でも「ヴァカンス」とか「ヴァイオリン」とか言っちゃうタイプなんでしょう。生きづらくないんでしょうか。
 

全角数字と半角数字を混ぜる 

 
滅びよ。 
僕は過激派なので、「全角英数字不要論者」です。なので余計ですね。 絶対許すことはできません。ちなみにこのフォロワーさん、「打ち込んだ文字がフォントに対応していない」、明朝体とcentry体英数字が混ざってる」、「インデントを使わずにスペースで誤魔化す、そして記号などを使い微妙に先頭文字がずれる」といった、デザイナートラウマなクソを多数提供してくれました。…寒気してきました。
 

わかるようで絶妙にわからん例え出していこう

 
シンプルクソ。 
いますよね。持論がややこしいと自覚しているところまではいいものの、それを余計ややこしくなるような例え話でドヤ顔解説する輩。こう言う場合、「『文章の脚』ってなんのことだっけ…?」と、例えない方が理解しやすいことの方が多いですよね。
 

句読点が異常に多い

 
腹立つやつやん。 
あまりこの点に関しては僕は強く言えないんですよね。僕もたまに句読点多いって言われるので。ただ、それでも腹立ちますよね。意味の区切りがボケるので解く時に集中力切れるやつです。
この逆の、「文長すぎ」 もありますよね。ちょうどいいって言うのを知らないんでしょうか。
 

難しい言葉多用したり変な例えや言い回しをしたりしながら「自分の知識をひけらかすのは良くない。人にわかりやすく伝えるのが上手い人こそ本当に賢い人なのだ」という主張を大真面目に展開する

 
作者、表出ろや
笑っちゃいますけども、これ「ある」んですよね。 自己矛盾系筆者。もうここまでくるとクソを通り越して笑えてきちゃいますよね。実際似たような感じの文章を読んでテスト中に苦笑いしたことがあります。でも許さねえからな


…などなど、どれもこれも立派なクソですね。
他にも、(笑)とか入れちゃう」、「特殊読み使っちゃう」、「主語がねじれてる」、「一人称の入れ替わりが激しい『僕』『俺』『私』『おいら』『我』『儂』『自分』『小生』『あたし』『あたくし』『わて』『わえ』『うち』『おい』『おいどん』『ぼくちん』『ぽっくん』『俺っち』『ミー』『当方』『下名』『本官』『拙僧』『愚禿』『吾輩』『朕』『麻呂』『余』『妾』……etc」、「文末に毎度『^^』がある」、「錬成現代文で見たんやけど デスマスとデアルちょくちょく変える」などがありました。
 
…クラクラしてきましたね。

さて書こう

ネタを大量に仕入れたところで、いざ作者となってクソ評論文をしたためましょう。テーマは提供してくれたものをどうにか繋ぎ合わせ、「知識」 に決めました。
 
次に、評論文の引用元に多い新書をいろいろと調べ、タイトルの傾向を掴みました。どうやらタイトルは、簡潔な一方でなんだか捉え所のないような一文が向いているようです。
そう言うことなので、暫し悩んだ挙句、「知識の行方」 に決めました。これっぽっちも読む気が起きないタイトルをつけることができて自分でもびっくりしてます。
 
で、最後は本文。こればかりは頑張らなくちゃいけません。文章の都合上、アイデア全てが実現できるわけではないけど、最大限活用します。
さて、今までのクソ評論文に対する恨みクレイジーフォロワー達からのアイデア。そして僕の文章力。持ちうる全てを費やして、史上最高で最低なクソを作ります。いざ、尋常に勝負…! 
 

知識の行方 

諸君は、「知識の行方」と言うものについて、考えたことは、あるだろうか。
知識は、なんのために存在し、 どこへ行くのか。それを考えるために、強力な一例として存在するのが、インターネットです.
そもそも、知識というのは、人に保存されて、初めて「実在」する。インターネット然り、本然り。文字や音声という形態で、「保存」はされても、それは実態を伴わず乖離して浮遊している。さしずめスギ花粉といったところだ。 スギ花粉は飛散し、鼻腔に入り鼻炎を引き起こして始めて「実態」として「実在」する。つまり、何が言いたいかというと、インターネットとはミラージであるということです。それどころか、人の脳に保存されていない、言語や音声などで紡がれた、知識は総じて、ミラージである。そのことに注意されたい。ミラージである以上、投影ではあるのだが、実態は彼方、ということになる。この実態との「距離」こそが、現代における、「知識の行方」において,重要な点なのです。
この実態との距離は、まるで凹レンズのように真実を拡散させる。距離が離れるほど、事実はその実態性を失ってゆく。かつての日常生活において、この現象は、いわゆる、誤差の範疇に過ぎなかったのだが、インターネットの登場によって,無視できないものとなった。事実の拡散は、我々人間の「幻想」に対する、弱さを露呈させた。読者の皆様もご存知のように、かのギュスターヴ・ル・ボンは「大衆は真実を求めているのではない。彼らに必要なのは幻想なのだ」との言葉を残した.このことからもわかるように、我々は「真実」と誤認した「幻想」、つまりミラージを、日々信用し「保存」しているわけだ。しかも、そのことに気づかずに。it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
例えば諸君は、「今が2019年だ」と言われれば、即座に嘘だと判別できるだろう。しかし、「ハーゲンダッツはフィンランドの会社だ」と言われて、即座に反論できますか?このような、判断のつきにくい情報を、精査する上での、鍵になるのが、 すでに実態を伴った情報、つまり,ミラージではない情報だ。発言者の信用度、会話の流れ。そのような確定された情報をもとに、知識というのは,確立されてゆく.つまり、知識とは「実在へと動いてゆく」と言えるだろうう。しかし、このような情報はインターネットでは、得難い。本や、新聞のように、発言者全てが信用できるとは、確約し難いからだ。また、「責任」が発生し難いという特徴もある。その間隙ををぬって「幻想」が蔓延るわけだ。
結局のところ、何が言いたかったというと、知識は、実態性を伴う方へ、流れていくということだ。したがって最終的には、我々の、頭の中へ入っていくわけだ。すなわち、知識は実態をともなはなくては、意味がないのだ。知識を披露する、目的でひけらかしても、聞き手が、それを実体化することができなければ、意味がない。知識は聞き手が理解し、実体化させるようわかりやすく話して、初めて,意味がある。それが、知識の、新しい行方を、左右するのだ。くぅ~疲れましたw これにて完結です! 

建前と悪意

…どうでしょう。全く意味がわからないでしょう。作者である僕ですらあまり意味を理解していないのですから、当たり前です。そしてめちゃくちゃイライラしますね。集中力が途切れる文章すぎて半分ぐらいですでにお腹いっぱいです。
今回文章を書くにあたって一番苦労したのは、「評論文だから一応道筋立てて論理を組み立てなければならない」という建前と、「読みにくくしてやろう」という悪意のバランスです。まぁ、思い切って悪意をマシマシ背脂多めにしたところこんな文章が出来上がってしまったわけですが。
もし暇な人がいたら、100字要約とかやってみてください。多分、めちゃくちゃになると思います。頑張って

と、ここまでクソ文章のお付き合いありがとうございました。最後にこんなものを。
 

読みたくねぇ〜〜〜!
 
では。

 

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